2008年4月24日 (木)

浄心行・観世音菩薩のお導き

今日から2泊3日間の神性開発練成会が始まりました。今日は浄心行を約1時間行ないました。浄心行の始めに「祈りの言葉」がありまして、その中に「他に対しては一切は観世音菩薩の三十三身に変化(へんげ)して吾らを得度し給う大慈悲の顕われなりと知らず、憎しみ、怨み、嫉妬等諸々の悪しき想念を抱いて参りました。」という懺悔の意味の言葉がありまして、思い出したのは、昨年から読んでいる『維摩経解釈』344頁にあった次の文章です。●腹を立てる事柄がひとつもなかったら「赦(ゆる)す」という仏心は生れてまいりません。キリストは「爾(なんじ)をなやめ責むる者のために祈れ」と教えていますが、腹を立てさせるような相手があるので、吾々は「赦し」の美徳を実践することが出来るのであります。そうすると、人が自分に対して腹を立てさせるような事をした時には、その人を憎むことなく、「あの人は私から『赦し』の仏心を引出して下さるために、あのような所業をなさるのである。有りがとうございます」と感謝しなければならないのであります。●物事の観方が少し変わったような気がします。

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2007年12月21日 (金)

浄心行・君は本当に全力を出したことがあるか

一昨日、西宮市の生長の家龍宮道場で浄心行を担当させていただいた。谷口雅春著『生命の實相』第4巻の5頁から16頁をテキストに説明をさせていただき、さらに治病の体験談として同じく谷口雅春著『維摩経解釈』の55頁から60頁に掲載の菅野繁さんの体験談を紹介した。『生命の實相』第4巻の5頁からは新約聖書の『ルカ伝』第7章にあるイエスと清教徒シモンさらには遊女マリア・マグダレーナとの話が載っていて、谷口雅春先生がその解説を著わしておられます。浄心行のポイントである懺悔についてまことに詳しく説かれてあり感銘を深くしました。また『維摩経解釈』掲載の菅野繁さんの体験談は要約次のようである。

菅野繁さんは、3歳のときから小児喘息をわづらってどうしても治らなかった。医者の「生れつきのものであるから治らない」との宣告に菅野繁さんは親を恨まずにはいられなかった。菅野繁さんは、両親が生長の家へ入信することが契機となって『生命の實相』を読むことになった。そして一縷の希望をいだいて菅野さんは、宇治の練成会に行く。当時宇治の練成会では、献労作業をやっていたが喘息の発作を恐れて作業に出ないでいると、練成員を指導していた一人の先生に、「君はどうして、皆が献労しているのに、出ないのかね」と訊かれた。「僕は喘息の発作があるので、作業にでも出たら益々ひどくなると困るから出られないんです」と弁解すると、その先生は、「君は生れて28年間、ただ人を恨む為ばかりに生きて来た。そんな事で君は此の世に生れた甲斐があるか。君は自分は病気だ、病気だと、まるで病気を見まもるためばかりに生きているやうなものだ。病気をつかんでいて、病気が治るか? 君は本当に人間として生れて、全力を出したことがあるか。男だったら一度でも全力を出して、男らしく此処で死んで見よ!!」と言ったのです。…………

続きは本書をお読みください。!! 読んで僕はとても感動したんです。!!

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2007年11月 5日 (月)

浄心行2

●久遠いのちの歌  今日から明後日まで神戸の生長の家兵庫県教化部・八祥会館で神性開発練成会が始まりました。今晩は浄心行を行ないました。浄心行とは、心の中にある怨みや、憎しみ、恐怖、不安、自分自身に対してとがめる心等一切の気持を紙に書いて、聖経読誦のうちにこれを焼却する行です。聖経読誦の後、維摩経の神髄を歌いあげたる『久遠いのちの歌』を聴き感動しました。『久遠いのちの歌』の最後の言葉を掲げます。

●泡の如く、霓(にじ)の如く、幻の如く、響の如く、過ぎ去るものは実在に非ず。    ●汝ら実在に非ざるものを、『我』なりと云うべからず、当にこれを『我』と云うべからず。●空しきものは『我』に非ず、死するものは『我』に非ず、無常なるものは『我』に非ず。●法身こそ応(まさ)に『我』なり。仏身こそ応に『我』なり。金剛身こそ応に『我』なり。 ●不壊なるものこそ応に『我』なり。死せざるものこそ応に『我』なり。尽十方に満つるも  のこそ応に『我』なり。

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2007年11月 1日 (木)

宝勇菩薩のおはたらき

谷口雅春先生著「維摩経解釈」を読んでいます。五十二菩薩のお名前が記載されてあり、そのおはたらきが記されてあります。すなわちお名前は次の通りであります。

等観菩薩、不等観菩薩、等不等観菩薩、定自在王菩薩、法自在王菩薩、法相菩薩、光相菩薩、光厳菩薩、大厳菩薩、宝積菩薩、弁積菩薩、宝手菩薩、宝印手菩薩、常挙手菩薩、常下手菩薩、常惨菩薩、喜根菩薩、喜王菩薩、弁音菩薩、虚空蔵菩薩、執宝炬菩薩、宝勇菩薩、宝見菩薩、帝網菩薩、明網菩薩、無縁観菩薩、慧積菩薩、宝勝菩薩、天王菩薩、壊魔菩薩、電得菩薩、自在王菩薩、功徳相厳菩薩、師子吼菩薩、雷音菩薩、山相撃音菩薩、香象菩薩、白香象菩薩、常精進菩薩、不休息菩薩、妙生菩薩、華厳菩薩、観世音菩薩、得大勢菩薩、梵網菩薩、宝杖菩薩、無勝菩薩、厳土菩薩、金髪菩薩、珠髪菩薩、弥勒菩薩、文殊師利法王子菩薩と日ふ。

このたび皆さんにお伝えしたいのは「宝勇菩薩」についてであります。谷口雅春先生は次のようにお説きになっています。

「宝勇」というのは、貴き勇気です。私たちが真理を伝えるには余程の勇気が要ります。世間の人が迷信だと言って嗤いはしないだろうかとか、真理の本を頒布するのを唯の「本売り」だと間違えられはしないだろうかなどと、勇気がなければ色々躊躇逡巡することが起って来るのであります。このように、人を救い、法を伝えるに必要な勇気が「宝勇」であります。

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2007年10月12日 (金)

維摩経解釈

久しぶりに後輩のM氏に会ったら、「維摩経解釈を読みました。とても良い本ですよ。」と熱心に薦められたので、昨日から読み始めました。まだ読まれたことの無い方も多いと思うので、「維摩経解釈」はどう言う書なのか、谷口雅春先生の識された「はしがき」の冒頭のみ少し紹介します。

 私はこの「維摩経解釈」の本を校正しながら、この経典こそ、仏教の最高峰たる真理を述べたものであることに、みづから驚きを新たにしたのである。仏教の最高峰たる経典としては先づ「法華経」が挙げられ、如来最後の遺教であり結語としては「涅槃経」が挙げられ、「空」の真理を詳密に説くものとしては「大般若経」が挙げられるけれども、「法華経」や「涅槃経」の説く「實相」の真理と、「大般若経」の説く「空」の真理とを、ひとつの不二法門に包容融会して、それを単に理論としてではなく、在家・出家の区別なく、その真理を実際生活に生きるには如何に為すべきかの具体的な指導が行はれている点に、「維摩経」は他の経典にない秀でたる特徴があるのである。

これから読むのがとても楽しみになりました。折々、読後の感想を載せていきたいと思います。

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